関ヶ原の戦い:『関ヶ原』(司馬遼太郎)を中心に
おもしろかった。
島左近の男っぷりに惚れ、
福島・加藤の脳筋っぷりに(。-`ω´-) バカハシネバイイトオモウナ・・・となり、
東軍雪崩うち寝返り組の品性のなさ(もともとの東軍加担組は、好きじゃないけど品性がないとは思わない)、ε=(。・`ω´・。)ダカラオメーラキラワレルンダヨ!!と思い、
その中でも山内一豊は真性の下衆だと思い、
伊達政宗の小者っぷり評価に得心し、
苦労しっぱなしの徳川譜代組にいささか同情し、
あんまり好きじゃなかった黒田如水を見直し、
織田秀信と豊臣秀頼の来世が平和であることを願い、
半分呆れながらも、三成を素敵だと思った
そして家康・・・本当に幸運な人。
長生きをしたことが、まず幸運だし、豊臣恩顧&親族の大名がバカと不忠ばかりだったってことも幸運。
そういう意味で言うと、秀吉が晩年に愚行を重ねたってのが幸運ってことか。
そう。
家康って、すごく幸運でそこそこ有能な俗物。
ま、運も実力のうちっていうしね。
三成は・・・不運だったとはあんまり感じないな。
器量も含めて、与えられた条件の中で精一杯やったし、秀頼のことはともかくとして、歴史に名を残し、冥土の秀吉の恩義にも報いた。
それに、何気に子孫は繁栄してるんだよねv
・・・なんだけどさ、書かれたのが30年以上も前だからしょうがないんだけど、最近の研究からすると、???なところもあって、なかなか入り込めない部分はあった(´・ω・`)
なかでも一番は、北政所の描かれ方。
最近では、実は西軍よりだったんじゃないかって言われてるんだよね。
私自身、この時代の政治情勢にも関が原の戦いにもさほど詳しいわけではないからなんとも言えないけど、状況証拠をみると、さもありなんって感じ。
そもそも、いくら妾の子だといっても、自分が愛した男の子どもを不利な立場に追い込もうとするのか?ってのが、昔っから疑問だったんだ
その点、北政所が西軍より、もしくは完全中立で、江戸期に入って徳川史観の中で東軍よりにされたって方が、自然な気がする。
島津に関しても、同様のことが言われているしね。
まあ、今となっては絶対にわからないことだけど。
いや、もしかしたら当時の本人自身にもわからないかも。
人間は、複雑な生き物だから。